ガンと壁を二度三度と叩きつける。その音はこのバスルームの中を木霊し、止め処なく流れ出るシャワーの音が、それを包み込む。黒髪の少年ルルーシュは、バスタブの中で後悔と自責の念に渦巻かれ答えの出ない問いを疑問が頭の中を支配していた。
『私を失望させるな』
唯一の共犯者であった緑髪の少女C.C.から放たれた鋭く冷たいその言葉は、ルルーシュの口から飛び出そうとしていた言葉を丸め込ませる。ずっと傍にいると誓った相手がいながらも、容易に受け入れてしまった傷心の少女の唇、今になって思えばその少女の笑顔に無意識に癒されていたと感じるが、それもすでに後の祭りと化した。
そしてルルーシュは、このバスルームへ逃げ込む前にやり取りをした二人の少女を思い出す。
「黙れ!!」
テーブルの上に置かれたノートパソコン、その横に置かれた携帯が何度も振動を繰り返している。やがて諦めたのかその振動が止まった後に、C.C.はルルーシュに対して口を開いた。ソファに座り上の空だったルルーシュに対して、C.C.から放たれた言葉は容赦なくその心を抉っていく。
「黙れ!覚悟は――」
ルルーシュの言葉を遮ったのは、部屋のドアがスライドして開く音だった。気持ちをすぐに切り替えられないルルーシュではあったが、それはすぐに怒りから驚きにかわる。入り口には車椅子に乗ったナナリーとそれを押すミレイの姿があった。一歩二歩と部屋の中へ足を進めると、やがてドアはその口を塞ぐ。
少しの間の後、険しい表情を露にしたルルーシュはミレイに視線を向けた。
「ミレイ……」
その後に続く、―なぜ勝手に入ってきた?―、という無音の問いかけを理解したミレイだったが、いつもの様に自分のペースは崩さない。
「今日はルルーシュに大事な発表がありまーす」
いつもの生徒会室でのノリと同じ調子で、ミレイは声をあげる。今までの緊迫した空気の中では場違いなミレイの雰囲気であったが、ルルーシュはそれになぜか圧されてしまった。空気が読めないのか、それともあえて読まないのかミレイは相変わらずのまま、ナナリーに微笑む。
「お兄様」
いつも通りの優しみのあるナナリーの声にハッとなったルルーシュは、ナナリーが少しだけ緊張の色を浮かべてる事に気づく。
「私はお兄様の抱く苦しみをわかってあげる事はできません」
ルルーシュはその言葉にびくりと体を反応させる。苦しみ、その言葉が何に対して言われているのかルルーシュは脳内で、幾通りかの可能性を思い浮かべながらナナリーの言葉を待った。
「でも力になる事はできると思うんです」
そう言ったナナリーはゆっくりと足を動かし床の上に降ろす。
「ナ、ナナリー!?」
このエリア11に来て以降、今までずっと足に障害を抱えていた愛妹のその行動にルルーシュは同様を隠せずに大きく目を見開いた。知る限り妹ナナリーが、足を自由に動かす所など記憶に無い。あの日、母親が殺されたあの日以降……。
――しかし……
そうであったとしてもルルーシュは、少なからずその可能性を考えてないわけではなかった。ただあまりにも確率的に低く除外していた部分がある。いつの頃からか少しずつ肉付き始め血色も良くなっている。そして何かの際にナナリーに触れる際、ナナリーがくすぐったそうな反応をしているのを何度も感じてはいた。
だが、歩けるようになるにはまだ時間がと思っていたルルーシュは、このタイミングでの事は想像もしていなかった為、動揺は大きい。
「もしお兄様が立ち止まってしまったのなら……」
ゆっくりと椅子から立ち上がったナナリーは、まっすぐにルルーシュの顔を捉えた。
「な……」
立ち上がるときと同じようにゆっくりと、閉ざしているその目蓋を上に開いていく。ルルーシュが最後に見たときと同じ輝きの瞳が、ルルーシュをまっすぐに捉え離さない。ルルーシュもその瞳に捉えられ顔を背くことさえできず、ただただナナリーを見つめる。
あまりの事に驚きを隠せないルルーシュは、その後のナナリーの言葉とミレイの言葉が頭に入ってこないほど、自身の脳内処理に追われていた。ルルーシュがやっと意識を現実に戻したのは、二人がこの部屋を出て行った後でだった。
『お兄様が立ち止まってしまったのなら、私が…私たちがブリタニアを壊します』
『ルル、ゼロって弱い者の味方何だよね?なら……なんで私のお父さん、殺したんだろう…』
『ルルーシュ、もう休んでもいいのよ。あなたの為に私達が……代わりに背負うわ』
『ぬるいのはお前だ。今までもお前は多くの人間を殺してきた。その手で、あるいはお前の言葉で』
『お願い、ルル…助けて』
『なぜ今さら迷う?情で揺らいだか?せがまれるままキスして・・・』
――黙れ…
『お前はいつも女に守られてばかりだな。私に…ミレイに……、そしてナナリーにさえも』
――黙れ!!
『ルルーシュ……お前にはもう、動揺したり立ち止まる権利などない。生きるために必要なのだろう?ミレイもナナリーも……私も』
――……
『私を失望させるな』
――くっ!
C.C.のその言葉を思い出し、表情を歪ませて一際大きくバスルームの壁を叩いた。奥歯を噛み締めて、一人そのすべての事を心の奥へと闇へと静かに飲み込む。
――俺は……
『行くか?修羅の道を』
NAC……エリア11に存在する秘密結社であるキョウトに呼び出された際に、ゼロ……ルルーシュの前に姿を現したのは老獪な雰囲気を漂わせた老人、桐原泰三であった。8年前、まだ日本という名前であった時代にブリタニアから人身御供として送られた際、ルルーシュとナナリーは桐原と面識を持つ事になった。もっとも当時ナナリーは目が見えていないため、桐原の顔を知る事はなかったが……。
桐原と8年ぶりに再会したルルーシュに対し、桐原が言った言葉……。
『行くか?修羅の道を』
ルルーシュはその言葉を何度も何度も頭の中で反復させる。
――修羅……
ルルーシュは閉じていた目を見開き、壁の一点をしばらく凝視したあとで蛇口を閉めた。頭上に降り注がれているシャワーが止まりルルーシュは立ち上がる。
――ナナリー…ミレイ…。俺はもう、立ち止まらない。流してきた血は無駄にはしない!!
『お前はいつも女に守られてばかりだな。私に…ミレイに……、そしてナナリーにさえも』
「ふっ」
C.C.の言葉に対してなのか、自分に対してなのか、ルルーシュは嘲る様に笑みを浮かべる。
――お前たちだけは、俺から離れないんだろう?
誰への問いでも無しに、ルルーシュはバスタオルを手に取りバスルームを後にした。
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