備え付けられている鏡の前に立つと、胸元や首元に赤いマークが所々に残されている。それを一つずつ確認すると、昨夜の事を思い出し火照った体をさらにもう少しだけ火照らせたミレイは、手近にある掌より少しだけ大きいペットボトルの水を一気に半分ほど飲み干した。
アッシュフォード学園の地下に作られたトレーニング施設は、知っているものは少なく理事長であるルーベンを含め、ミレイとナナリーと咲世子の4人だけである。室内には組み手用に作られた畳スペースに、トレーニングマシンがあるスペース、KMFのシミュレータのスペースとかなり広めに作られている。
ミレイはシミュレータの方へ顔を向けると、そこに座って操縦レバーをたくみに操作しているナナリーが目に入る。この間サイタマゲットーで採取したデータから、ナナリーが戦ったギルフォードの駆るグロースターをトレースし、ラクシャータ達がシミュレータに反映をしていた。そのギルフォードとの戦いを、今ナナリーはシミュレータ内で再現している。素早くそして細かく操作をするナナリーの技術は、あのギルフォードとの一戦以降比較的に向上していた。
――ほんと、才能って怖いなぁ…
ラクシャータも驚いていたが、反応速度がずば抜けて高くナナリー専用に作った機体でさえも、時々限界値付近まで付加が掛かっていた。ミレイは、コンスタントに一定以上の高さの負荷で安定した性能を引き出すタイプなのに対し、ナナリーは相手によって機体へかける負荷や性能が変化タイプとラクシャータは二人の特性を見抜き、それに合わせた再調整を現在行っていた。
「ふぅ~」
幼さの残る声色で、一際長く息を吐いた少女はシミュレータから立つと、少しだけ上気したのか頬を赤くさせミレイの傍へとやってきた。ミレイは持っていたペットボトルをナナリーに渡すと、残りの水を全て飲み干し短く息を吐いた。
「どう?」
「あくまでもデータですから、実際とは違うと思いますけど…」
「けど?」
「ほぼ勝てるようになりました」
「へぇ~」
――さすがは、マリアンヌ様のってとこね
微笑を浮かべてはいたが、ミレイはナナリーの成長に内心舌を巻いていた。共犯者として彼女の成長は嬉しくあり恋敵《ライバル》としては非常に手ごわい。そんな彼女の様子を伺いながら汗をぬぐうと、この部屋の入り口は開き来訪者の訪れを告げた。
「ミレイ様、ナナリー様。ご朝食の準備が整いましたので、クラブハウスへお越し頂けますか?」
メイド服を着た咲世子が入り口の所で告げると、二人は返事を返し三人でクラブハウスへと向かった。ミレイとナナリーは二人で一緒に素早くシャワーを浴びると、急いで準備をして朝食を食べるためにリビングへと向かった。
リビングで3人で朝食を取り、登校時間になったためルルーシュとミレイはナナリーと別れ、クラブハウスを出発した。校舎とクラブハウスはたいして離れておらず、5分もあればすぐに校舎の入り口へ到着する。
「あ、そうだ♪今日アーサーの歓迎会やろう」
「え?」
いつもながら唐突な事を思いつくミレイに、あからさまに怪訝な顔を浮かべるルルーシュだったが、隣でいろいろと話し始めたミレイを止める術を知らずそのまま適当に相槌だけ返しながら、ほかの事を考える事にした。この時に歓迎会のプランをいろいろミレイは口にしていたのだが、ルルーシュはただ適当に相槌を打っていただけなのでコスプレ着用についてはすっかり聞き逃していた。その事を後悔するのは約7時間後の事になる。
放課後生徒会室へ拉致られたルルーシュは、リヴァルとスザクにより生徒会室の椅子にロープで縛り付けられていた。
「おい、リヴァルよせ!!」
「あきらめなって…会長命令」
「ぐっ…、おいスザク」
「ごめんねルルーシュ。会長命令だから」
「顔が笑ってるだろ…おい!!」
二人が口にしたその人物に視線を向けるも、黒猫になったミレイの蒼い瞳に見つめられたルルーシュは適わないと悟ったのか小さくため息を吐いた。それと同時に生徒会室の入り口のドアがスライドする。そこに立っていたのは紅い髪の少女…カレン・シュタットフェルトで、室内の様子を伺った彼女は、明らかに呆れたような表情を浮かべた。
「おっはようニャン」
黒猫になったミレイが、ネコの手の手袋をつけた右手で挨拶する。カレンがミレイを上から下まで眺めた。黒耳に顔には髭、両手にはネコの手の手袋、衣装はややハイレグ系で胸元が白い為大きい胸が余計強調されているように感じる。お尻部分からは尻尾を生やし完全な黒猫……、間違っても雌豹とは言わないように気をつけようと、心の中でカレンは誓った。
「えっと…これは?」
「アーサーの歓迎会ニャン」
「平和ですね~」
――平和…か
カレンの呟いた言葉にミレイは考えを馳せる。少なくともこのアッシュフォード学園の中だけは、ルルーシュとナナリーの平和を約束していた箱庭。しかし、その平和はそれはいとも簡単に崩れるもの。
平和のはかなさを知っているルルーシュとナナリーの二人にとって、どれだけ平和を感じさせれられたのかミレイにはわからない。核心はもてないがきっとルルーシュはすでに平穏の為に犠牲を払っている。彼の行動を見ているミレイ、そしてナナリーは彼の微妙な変化を捉えていた。それは彼の被る仮面の厚みによって…。
だからこそミレイもナナリーも共に仮面を手に取る。愛する人を守る…ただそれだけの為に。
結局コスプレさせられたカレンを交えて、アーサーの歓迎会は行われた。アーサーというのはスザクがつれてきた野良猫で、黒っぽい青の毛色で右目の所には黒斑模様がある。生徒会メンバーには割となついてくれたのか、みんなの呼びかけに応えるように鳴き声を上げじゃれ回る…ただ一人を除いて。
「痛っ」
差し出した手をことごとく噛まれ、そっぽを向かれるスザクは「片思いばかり」と豪語する。
そんな歓迎会もミレイが満足した為終わりを向かえ、男子組みに後片付けを命じて残りのメンバーは着替えるために生徒会室を後にした。着替え終わったシャーリーはルルーシュたちの所へ戻り、カレンは自宅へと向かった。そのメンバーの背を見送ったミレイは、シャワールームへ向かい軽く汗を流す。服に隠れたルルーシュとの印を見つけると、妙な恥ずかしさが少しだけこみ上げた。シャワーの蛇口を捻り、近くにかけておいたタオルでぬれた体を拭く。バスタブからシャワーのお湯が飛び出ないためのカーテンを開くと、衣類用の籠に畳んだ服の上に置いた携帯のLEDが点滅していることにミレイは気づいた。髪の毛を拭きながら籠に近づき携帯を手に取ると、着信には自分の祖父がいるであろう理事長室からの着信履歴が一件残っていた。
「あっ」
今日お昼休みの時間に理事長であり祖父のルーベンに呼ばれていたミレイは、放課後理事長室へ来るように言われていた事を今思い出し、急いで制服に着替えるとクラブハウスを後にした。
「お、あったあったここだ♪」
東京租界の一角、広い敷地の中に立てられた大きな屋敷。そこの表札にはシュタットフェルトと表記されていた。
本来アッシュフォード学園は全寮制で、生徒は全員寮生活という決まりがある。ルルーシュとナナリーは例外として、このカレンも寮生活をしない生徒の一人であった。理事長であるルーベンとシュタットフェルトの間でどんなやりとりがあったのか、ミレイは知る事はない。しかし、ルーベンよりカレンに届けるよう言い渡されたそれをみて、カレンの素性を知ったミレイはその素性からも寮生活より自宅通いのほうが良いと感じていた。
外門のインターホンを鳴らすとおっとりとしながらも、丁寧な女性の声が聞こえてくる。
「ミレイ・アッシュフォードと申します。カレンさんはいらっしゃいますか?」
その場で二言三言交わすと、ミレイを招き入れるように大きく重たい門が左右に開いた。外門から玄関までの距離は、アッシュフォード学園のクラブハウスと校舎までの距離の半分くらいで庭を眺めながら歩いているだけで、玄関まではすぐにたどり着いた。玄関のドアを軽く三度ノックすると、インターホンと同じ女性の声が扉の向こう側から聞こえてくる。ゆっくりと開かれた玄関の扉からはメイド服を着た黒茶色の髪の女性が姿を現した。長いその髪を後ろで一つに束ねている。ミレイはこの女性を見た時に、ふと今会いに来ている少女の瞳と重なった。
「カレンお嬢様、カレンお嬢様~」
二度三度とこのメイドの女性が名前を呼ぶと、二階の廊下から紅い髪の少女が姿を見せる。すでに制服ではなく薄い紫色のブラウスに白いミニのスカート、脚には黒のニーソックスに着替えていたカレンが階段を下りてきた。
「会長……」
少しいぶかしむ表情でミレイを見たカレンだったが、メイドの女性に声を掛けられるとすぐさま平坦な無表情に切り替え、自分の部屋に通すようにだけ告げた。
「あら?友達って言うからてっきり男だと思ってたわ」
先ほどカレンが出てきた廊下から、ミレイとは明るさの違う金髪の女性が嫌味を言いながら階段を少しだけ降りてくる。目つきが悪く見える鋭い目に濃い目の化粧、カレンとは違い派手な衣装に身を包んだ女性とカレンのやり取りを見たミレイは、不謹慎ながらも内心少しわくわくしていた。
――これって…修羅場?ふーん♪
二人のやり取りを見つめていると、ミレイの左からガシャンと大きく何かが割れる音が聞こえ、目を向けるとメイドの女性が玄関横に置いる台の上の花瓶を、落としてしまったようで破片が床に散漫し床が水でぬれていた。カレンに向けていた矛先をメイドの女性に向けると、メイドの女性はおどおどしながらもただただ謝罪の言葉を繰り返し後片付けを始める。
「っ…」
その姿に顔を顰めたカレンは、ミレイを自分の部屋と通すとどこかへと行ってしまった。ミレイは椅子に座り窓から外を眺めると、小さいながらもはっきりと政庁が確認できる。室内を見渡すと、白を基調としているのか壁や机、それにピアノまでも白い。ふいにドアの開く音が聞こえた。高級そうなティーカップとティーポットのセットを、ワゴンに載せカレンが入ってくる。テーブルに近づくと、ミレイと自分の所へティーカップを並べ、ティーポットに入れた紅茶を注いでいく。注がれたティーカップからは白い湯気が立ち上ると同時に、茶葉の穂のかな香りがミレイの鼻先をくすぐった。
ティーポットをワゴンの上に載せたカレンが、ミレイの対面の椅子に座る。
「カレン…、なかなか複雑そうねぇ」
「……渡したいものって何ですか?」
ミレイの質問に応えないカレンに、これ以上踏み入るなと言われていると感じたミレイは、ルーベンから預かった封筒を鞄から取り出し、机の上にそっと差し出す。
「お爺ちゃんに頼まれてねぇ…、中学からの成績証明書」
ミレイの言葉に少しだけ身を強張らせたカレンは、ゆっくりと口を開く。
「バレたって事ですね……、私がブリタニア人とイレブンのハーフだって事」
「ええ。学校で渡さないほうがいいと思ったの。ま、これを見るまでハーフだとは思わなかったけれど」
「さっきのは継母です。本当の母親は、花瓶を倒したドジなメイドの方」
封筒の中の書類に目を通し、名前の欄に自分の名前を記していく。
「父親は…シュタットフェルト家の、ご当主様?」
「馬鹿なんです母は…」
カレンは視線を下に向け表情を曇らせた。
「結局使用人扱いで…たいした仕事もできないから、どんなに馬鹿にされてもヘラヘラ笑ってる事しかできなくて。わざわざこの家に住まなくたっていいのに。要するに縋っているんですよ、昔の男に……」
一度紡いだ言葉は留まる事は無く、独り言のようにただただ語っていく。顔は無表情を装っていても、声色から嫌悪が見え隠れしていた。
「お母さんの事嫌いなのね……」
「鬱陶しいだけです」
「正妻も妾もその娘も一緒に暮らしてるなんて…、ヘヴィな話ね」
「そうでもないですよ。衣食住に不自由は無いし、我慢できないって程じゃありませんから」
最初にいれてあった紅茶はすでにミレイが空にしていたため、カレンはそこへ2杯目を注ぐ。
「そう…」
少しだけ首を傾けて微笑みをカレンに向けたミレイは、視線を窓の外へと向けた。
「でもね…、一つ一つは我慢できるものでも、積み重なればいつかは擦り切れてしまう…」
ふっと表情を曇らせたミレイは、先ほどのカレンのように言葉を紡ぐ。
「カレンは、好きな人っている?」
「へっ?」
先ほどまでの会話の内容とは脈絡の無いミレイの言葉に、ミレイは驚きの声を上げた。それに対してミレイは特に反応をせずただただ言葉を口から流す。
「私はね、きっとその人に頼っているんだと思う…そう、カレンの言葉を借りるなら縋っている。人間は決して一人では生きてはいけない、だから誰かを頼ったり縋ってしまうものなんだと思うわ」
そう言ってゆっくりとカレンの方に向いたミレイのその瞳は、恐ろしく暗く冷たさを宿していた。それを見たカレンが背中に寒気を感じるほど。
「だから、私から奪い去っていく者には……容赦はしない」
そういったミレイは口の端を上げ、少しだけ開いた唇と唇の間からは白い歯が顔を覗かせていた。
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